昨今、つながりやコミュニティを軸にしたサービスや活動が増えてきているように感じます。ただ、この言葉は使い勝手のよさから多用されているように感じてしまいます。これから必要とされているコミュニティとはどのようなものなのか?
例えば、SNSも一種のコミュニティだと思います。ただ、このSNSを利用することによるとストレスや鬱の原因になると言われていたりします。
SNS使用者に急増中!ストレスや鬱の原因になる「FOMO」とは?
ポイントとして、コミュニティから取り残されることが怖い人が多いということ。
友達の情報をチェックしなくては落ち着かない、チュックするとリア充な感じが羨ましく劣等感を覚えてしまうなどストレスになる原因は色々あります。
この要因はいくつかあると思うのですが、一つは人間関係の線引きができていないことがあるのかと思います。
例えば、Facebookの場合、一回しか会ったことがなくまだ距離感を感じているのにも関わらず、つながりを求められたり、仕事で知り合った人とは必ずと言っていいほどつながりを求められたり、こういう風に対応していくと当初は友達、特に親しい友人だけの情報ややり取りだったのに、いつの間にか飲み会で知り合った人、仕事で知り合った人、よくわからない人、会ったことがない人・・・などなど色んなカテゴリーに値する人たちの投稿がタイムライン上に流れてきます。
興味ないなら見れないように設定する、繋がらないなど対策はあるのですが、上記であげているコミュニティから取り残されることを恐れから、結局繋がってしまうという傾向へ。日常生活でのコミュニティは、大きく分けて、家族、仕事、学校、習い事、趣味などになるかと思います。人によっては、10個以上のコミュニティを持つ人もいるでしょう。そのコミュニティの中で自分をあらゆる形に別の人格に変化させていく。コミュニティによって自分を変えているのです。これはおかしなことではなく当たり前のことだと思います。
このようにしてあらゆる顔をもつことにより生活のバランスを保っているのです。
職場では言えない悩みを家族に趣味のコミュニティの人に相談したり、家族の悩みをヨガ仲間に相談したり、職場では後輩に頼られるような先輩になろうと頑張っているが、実はそれがストレスで習い事で発散したりなどなど。
人はコミュニティによって自分を変えているのです。
このコミュニティが極端に少ない場合どうなるのか?
自分はこういう人間にならなければいけない、とこうあるべきだと偏った考え方に陥りがちになり、ストレスを抱えてしまうこともあるのではないでしょうか。
SNS疲れの例と同じですね。
このようにコミュニティはに多様性とコミュニティ内での関係性の線引きが大事だと思います。
コミュニティつくりは奥が深く面白いです。一つの街をつくるのと同じです。
コミュニティ立ち上げに興味ある方はお気軽にご連絡ください。