国立市の特徴的な街並みはみなさん地図か何かで見たことがあると思います。鉄道路線に平行/垂直に碁盤状に道路が敷かれ、中央に大学、そして駅から放射状に伸びる富士見通りと旭通り。
そう、計画的に街並みが作られたからこそこれだけオーガナイズされているのです。この街並みも国立の魅力のひとつですよね。
突然ですが、瀋陽市という街が中国北東部にあります。歴史好きな人ならご存知かもしれませんが、昔は奉天という名前の街でした。ここで瀋陽の地図を見てみましょう。
国立とそっくりなのがお分かりいただけるかと思います。
鉄道路線に平行/垂直に碁盤状に道路が敷かれ2本の道路が駅から放射状に伸びています。
下の地図は〇〇年の奉天(瀋陽)の地図ですが、現在公園である場所が昔は大学であったことがわかります。まるで国立市のようです。ここまでくると何らかの相関を疑わざるを得ません。
例は奉天だけではありません。中国にまた長春という大きな街があるのですが下の図はその地図です。鉄道駅があるところまで国立・奉天とそっくりの街並みです。
国立のこの街並みが作られ始めたのは1920年代後半~1930年代前半、奉天、長春の街並みが作られたのも同じ時期です。
奉天と長春は、戦前は満州国、つまり日本の統治下にあったことを考えると、これらを考察
することによって当時の日本の都市計画に関する何かが浮かび上がるような気がしませんか?僕だけですかね?
僕の脳みそでは「何かの関係があるに違いない」までしか至れませんでしたので文明の利器を使って少し調べましたところ、2013年の一橋大学の地理の入試問題でこのことが題材となっているではないですか!著作権問題が怖いので本文ママをのっけることはやめましたが、問題文の概要はこう。
「南満州鉄道の主要駅周辺において、伝統的な日本の街路形態(京都のような碁盤状のあんな感じのやつです)と西洋の放射型の街路形態の融合がなされたためこのような街並みとなっている。」
「国立の街並みが奉天・長春と似ているのは関東大震災直後に復興を強く推進した後藤新吉の経歴が関係している」
パリなどを見ればわかるように西洋の街並みは中央にある広場から放射状に街路が伸びている形態です。今回の記事の例の街では広場ではなく鉄道駅が中心、また碁盤状と放射状の街路の組み合わせとなっています。大正末期あたりの日本へ西洋の文化が取り入れられていた(南満州鉄道沿線は日本が統治していたので日本ということにしましょう)時代変化の名残がここにみてとれますね。
続いては後藤新吉氏と都市計画の関係について探っていきたいですがこれ以上はマニアチックになってしまうという懸念のもと今回はこのあたりで筆をおきたいと思います。興味を持たれた方は自分でも少し調べてみると面白いかも。もしかしたら僕がここで続編を書くかもしれません。