国立駅の大学通りは昔、滑走路だったことご存知でしたか?
大学通りは緑豊かで四季折々が感じられ、車道、歩道、自転車用通路に分かれ歩行者も安心して並木通りを散歩できる素晴らしい道です。
その大学通りが昔は滑走路として使われていたそうなんです!
もともと中央線(甲武鉄道)ができた時には国分寺駅、立川駅の間に駅はありませんでした。
箱根土地(現プリンスホテル)の堤康次郎がこの周辺の土地開発計画しました。
この土地に大学(東京商科大学、現一橋大学)と住民を誘致するために、街と中央線の駅を作ってしまったのです。
1926年(大正15年)に駅は国に譲渡されました。
駅名は「国分寺駅」と「立川駅」の間にあるということで「国立駅」と名付けられました。
国立駅の南口には放射状に伸びる道が今でも残っていますが、堤康次郎の頃に考案されたもののようです。
東京商科大学(現一橋大学)が移転した1927年から1929年までの2年間、大学通りが飛行機の滑走路として使われていたそうですが、なぜ2年間だけ飛行場として使われていたかは未だに謎に包まれているそうです。
今でもこの大学通りは直線距離が1500mもあり、当時の飛行機を離着陸させるには十分だったのでしょう。
(※ジェット機の発着には最低1500mが必要だそうです)
ここで使われた滑走路は国立となんと軽井沢を結ぶ飛行機でした。
そして、軽井沢の飛行場もどうやら道路を使っていたそうです。
軽井沢も箱根土地が開発をしていますので、その関連が当然あった上での就航路決定だったのでしょうね。
現在の大学通りは緑が多く、道路の両側の緑地帯は今でも西武グループの遺産だそうです。
この緑地帯を撤去すれば今でも大学通りを滑走路として使うことは可能だそうです。
毎日通っている道がその昔、飛行機の滑走路として使われていたとは驚きました。